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0505
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   2016

0417
今日は他人の考え方を見て、少し思ったことを書こうと思う

善意は伝染する、そしてそれは大きな力になる。

そうして出来た善意のバケモノは人々をすり潰し、ころし、そして

尚、成長する。そんなバケモノだとしても善意は無くならない

善いことは正しい。

といった物だ。

よく分かる、とは言わない。感じ方は人次第だ。多分

一般的な感性の人に言っても捻くれた考え方だと一蹴されるだけじゃないだろうか

善意の悪意。

善意だからといって何をしてもいいということではない、と

いつも口癖のように言っているが、人が何を望んでいるかを考えて

行動しなければただの自己満足だ。大体みんなこういうのを望んでいるから

あなたもきっと「そうだろう」

非常におぞましい。

上の考え方というのはこういうことを言っている訳じゃないと思うけどね。

例えば

「蜘蛛の巣にかかった蝶が可愛そうだったから助けた」

これは善意と判断されるだろう

「蜘蛛が嫌いだから巣にかかった餌である蝶を逃がした」

これは悪意

さて、このふたつになんの違いがあるのだろうか?

行動理由、ただそれだけ。事実は「蝶を逃がした」それだけ

たとえ蜘蛛が餓死しようが善意で行動したならば人々はその人に

「優しい人」と評価し、本人もきっとなんの後悔も、罪悪感も覚えない

「誰も、蜘蛛のことを考えてはくれない」もしくは

「悪気はなかったから許せ」

この言葉に狂気を感じないだろうか?

善意は時に残酷で、なによりその残酷な行為そのものを正当化する。

ただただ気持ちが悪い。

誰かが助かり、誰かが犠牲になる。

この世の中の根幹。平等なんてのは人間ができる範囲で作ったもの

生まれながらにして食われる側なんてざらにある話。

それを有耶無耶にするのは、どうにも。

伝えたい事を分かりやすく伝えられないのは自分の能力不足とするところだな。

一つ保険をかけておくならば、これが正しいとは言わない。

一つの考え方であり、私の価値観である。

正直に言えば、正しさには興味が無い。

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