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   2024

0504
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   2016

0216
信じて頼ること、信じる。歳を重ねるたびに難しく感じる

よくよく考えてみれば今まで誰ひとり信頼していなかったんじゃないだろうか。

確かに、どうでもいいことは頼ることは出来る。でも、核心に触れるようなことは

一切誰にも話さない、頼らない、信じない。

本心では信じたい、けど、信じられない。信じられないようなことが

いくつかあるから。でも確信はない。

でも、たとえ影で「めんどくさい」「嫌い」「都合がいいやつ」とか

思われていても不思議ではない。自分に関する全てが信じられない

友達が友達を褒めている。これは信じることができても

友達が俺を褒めている。これは信じられない。

これだけ聞いていると、ただのネガティブなだけ。

けど、それを裏打ちするような出来事が、自分の記憶にいくつもある。

怒らないからと、人権さえ侵害するようなことをされて。

ぞんざいな扱いを受け続ければそうもなるさ。

笑って許せても後でじわりじわりと毒が這い回るが如く

基本的には相手がはっきり口に出すまでは態度を変えない

自分勝手に思い込んで裏目に出ることはよくあること、だからね。

結局、何一つ変わらないんです。
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   2016

0121
一応まだ一月なので遅くないハズ!です!

なんというか激動の一年でした。後厄も終わり、今年は良い事があるといいですね。

去年は色んなものに触れて、聞いて、見て。色んなことを感じ、思い、考えました。

なんとも不思議な気分です。

「清濁併せ呑む」というのが、丁度いい表現かもしれません。

限りなく素であり自然。ポジティブでもなくネガティブでもない。

ただただ今は何かまたお話を書いてみたいと思っています。

「それ」は小説でもなく、ノベルでもなく、物語ですらないかもしれません。

何かを成せたなら、残せたなら、感情を得られたのなら、それでいいと思います。

なんでしょうね、この心境というか感情は。

どれだけ考えても説明できないので、区切ります。

人が感動を覚えるのは何だと思いますか?

私は「純粋」だと思います。昔はすごくその言葉を陳腐に感じていました。

そしてその純粋さを貫ける人などほんの一握りだと思っていました。

誰か一人を想い続けることも、絶えぬ友情として笑いあう事も

ただ強くなるために修練を重ねたスポーツマンも、何かを描き続けた絵描きも

人生を見せ続けた脚本家も、音を紡ぎ続けた音楽家も

だれかを守るためだけに身を盾にしていた軍人も。

何一つとして被ることない人としての美しさだと思います。

たとえその純粋さの先が悲しみしかなかったとしても、

それを貫けたなら、それは美しい。

陳腐な台詞と思うでしょうか?そう思うことは間違いではないと

思います。

これは私が出した答えであり、誰かの答えとは違う。

多分、年齢を重ねれば重ねるほどに私はその純粋さを

強く美しいと思うでしょうね。

自分が経験したことのないことはぴんとこないものです。

貫き通すことがいかに難しく、辛い道かを知れば知るほどに

新年早々何の話をしてるんでしょうね?

人の考え方や価値観ってのは、その人の人生の集大成。

って話を長々と喋っただけでしょうか?

とりあえず、今年もよろしくお願いします

   2015

1204

段々と一年が早くなっている気がしてます。それだけ日々に違いがないから

なんでしょうけどね。

友達が鬱になりまして、ここ数週間そのケアだったりなんだったりと

少しだけ忙しい日々でした。

結局何の力にもなっていないけど。

友達は感謝してくれる、別の友達は私自身の必要性を説いてくれる。

でも、どれだけ感謝されても、必要だと言われても

それを信じることができない。だって、何もしてないんだから。

何もできないから、せめて時間だけはと。

挫けそうなら、限界なら誰かを頼れとこの口は言ったけど、

自分自身できてるかと言われると口を閉じてしまう。

決して限界ではない、挫けそうでもない。負ける強さを持ってないから

強くありたいと願い一人でも挫けない強さを求めて、時にそれを

強要されながら。泣きながら。それでもと



一人で立てる人間に肩を貸す人はいない



甘えたくても許されなくて、一人でなんとかするしかなかった。

味方なんていない、理解者なんて必要ない。

たとえ歪でもそれが私の積み上げた強さ。

でも、何か。何かがズレている

親に言われたことが最近になって頭から離れない

「お前は人の気持ちが分からないやつだ」

その時は意図的に無視してた、こちらの気持ちを無視してたから

やり返したつもりだった。

でも何故か、刺さっている

どこかおかしいのだろうか、いまさら普通に拘ってるつもりもないのだけど

もし分かってないなら、いつも誰かを傷つけてるのだろうか

傷つけてない、なんて絶対に言えないけど。普通なら

避けられた傷なんだろうか、と

それじゃ、意味がないのにね

   2015

0901
世の中には出来る人間と出来ない人間がいる。

たしかにその差はあってそこから努力による技量のプラスマイナスが行われる

そういうものだと思っている、要領がいい人間は何やらせても大体出来る。あんな感じ

自分は後者だ、出来ない人間。謙虚な心で出来るのに出来ないという人もいるけど

マジで役に立たない感じ。言葉どうり言われたことしか出来ない、遅い。

うん、陰口なら本人に聞こえない所でやってくれ。

てか、いつもその仕事をやってる人間といきなりヘルプで呼ばれた人間を比べないでほしい

それを考慮した上でも、なんだろうけどさ

小さい頃の自分はどんくさくて、根暗で、頭も別によくない子だったのはよく覚えている

小学校の半ばくらいに多少根暗が治って、強制的に勉強させられてたからテストも

まぁまぁだった。酷いときは酷い点数だったけどね

ある時答案用紙が15枚くらいいっぺんに帰ってきてそのどれもが90点以上だったことがある

でもそれを親に嬉々として報告したら

「こんなん出来て当たり前、いちいち喜んでんじゃない」

って言われて泣いた。

なんのために勉強頑張ったんだろって、5時から11時まで椅子に座って勉強

母親は出てったから父親と二人暮らし、父親は仕事で11時半まで帰ってこない

分からないところがあっても聞けない、帰ってきて聞いてわかんなかったら殴られる

おなじヒントを言われてわかんなかったらまた殴る。パニックを起こして余計答えが

分からなくなるそんなループ

それを耐えてきて、その結果がこれかと

将来の自分のためなんて小学生のときに言われて理解できるわけない

それをおばあちゃんに電話で軽く愚痴ったこともある。その日のうちに父親に

ちくられて怒られた。それから電話するのをやめた。内緒だって言ったのに

その約束も守らない、奴は敵だって

正直死にたくなった、まだ自分は恵まれているほうだ。世の中にはもっと

凄惨な状況の子はいる。って考えて自分をごまかしてた。実際もっと酷い状況の人も

いっぱいいるだろう。

それでも頭痛に悩まされ病院にいってストレスが原因ですって言われたときの

あの衝撃は今でも覚えている。よく過呼吸にもなった。仮病だと思われたがね

それから努力しなくなった。どんなに怒られても殴られても、自分の興味のあることしか

努力しない。実際高校の受験勉強も一時間もしてない。

でも唯一の救いは友人に恵まれた事だ、学校で友人と会うことだけが楽しみ

家は地獄、苦しみしかない。

それが俺の学生時代、でもこんなのはただの言い訳。

どんな状況下だろうが努力してこなかった人間が悪いのだと。

そういうことなんだろう

頭では理解している、心は拒否している。

この話を誰かにしたことはない、誰も聞きたくないだろうし、ただの

不幸自慢に意味はない。人には人の苦労がある

皆なにかしら苦しい思いをしてきているはず

そう思えば、思ったのなら皆頑張ってるのに一人負けたくないって

気張って、食いしばって立つ

でもふと負けそうになる。最近そんなのが多い

こんなところに書いてる時点で負けているような気もしなくはないけど

でも一部だけだしいいかなと思ってる。

世知辛いよね、ほんと

   2015

0803
ヒーロー、それは皆を助け、救い、悪を打ち倒す者。

ヒーローは皆を助けることが出来る者でありながら、ただ一人を救えない者だ

そも、正義というものは不変ではないと思う。正しき義の行いは立場とかでも変わる

皆が各々自分の正義を持っている訳だ

だからこそ矛盾している、救われた者は正義の名の下に。打ち払われた者は

悪として処理される。

正しさだけでは人は救えない。大多数が正義、なんて思われている所もある。

少数派は悪か?そんなはずはない。

全員は救えない。結局ヒーローを目指す者は誰一人救えないのかもしれない

自分でさえも

当たり前だろう、人間は神ではないのだから


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